東京地方裁判所 平成元年(ワ)10444号 判決 1992年3月27日
原告
久岡和久
右訴訟代理人弁護士
志村新
同
加藤健次
同
秋山信彦
同
小島成一
同
渡辺正雄
同
上条貞夫
同
坂本修
同
高橋融
同
西村昭
同
永盛敦郎
同
柳沢尚武
同
山本眞一
同
岡田和樹
同
牛久保秀樹
同
小木和男
同
井上幸夫
同
今野久子
同
前田茂
同
小部正治
同
橋本佳子
同
金井克仁
同
小林譲二
同
上野廣元
同
水口洋介
同
滝沢香
同
安川幸雄
被告
ザ・チェース・マンハッタン・バンク(ナショナル・アソシエーション)
日本における代表者
ティモシー・マッギニス
右訴訟代理人弁護士
太田恒久
同
狩野祐光
同
寺前隆
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求める裁判
一原告
1 原告と被告との間で、原告が被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は原告に対し、金一一七万二九三九円及びこれに対する平成元年七月二六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員並びに同年八月から毎月二五日限り金一一七万二九三九円をそれぞれ支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第二項につき仮執行の宣言。
二被告
主文と同旨。
第二本件の事実関係
一被告は、アメリカの財閥であり多国籍企業であるロックフェラー・グループの金融部門の中心をなす資本金七億七六〇六万二〇〇〇ドル(一九八八年一二月末日現在)の銀行であって、肩書地に本店を有し、日本国内には、東京都千代田区及び大阪市東区にそれぞれ営業所を有している。
二原告は、一九八六年(昭和六一年)四月一日、被告との間で雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結し、同年一〇月、被告のバイス・プレジデント(副支配人)の資格を取得した。
原告は、本件雇用契約の締結と同時に、チェース・リーシング・ジャパン株式会社(以下「訴外会社」という。)に出向し、一九八六年六月二八日付けでその代表取締役に就任した。訴外会社は、アメリカ法人であるチェース・コマーシャル・コーポレーションの全額出資により設立された株式会社であるが、コンピューターその他の事務用機器のリース事業に参入するに際して、リース事業の経験堪能者を被告の名前で募集することになり、採用後直ちにその実質的な責任者として訴外会社に出向する目的のもとで、本件雇用契約を締結したものである。
本件雇用契約の締結に当たっては、原告が語学に堪能でありリース事業を営む外資系企業において営業部長兼財務部長の職にあったことなどが考慮された。
三訴外会社は、リース事業を開始した一九八六年及び翌年の一九八七年においては、営業収益よりも営業費用の方が多く、いずれも損失を計上したが、原告が一九八七年八月三一日付けで作成した一九八八年の業務計画では、同年の第四・四半期(一〇月から一二月)には収支が均衡するとの見込みが示されていた。ところが、被告は、一九八八年六月九日付け「閉鎖勧告書」に基づいてリース事業から撤退し訴外会社を閉鎖することを決定したとして、原告に対し、一九八八年七月に被告以外での雇用先を探し始めるように指示し、更に、一九八九年(平成元年)三月二九日付け文書により、出勤を停止して再就職活動に専念することを指示すると共に九〇日後の同年六月三〇日に解雇する旨を予告した。そして、被告は、同年六月三〇日、原告に対して、同日をもって本件雇用契約が終了した旨を通知し、それ以後、原告との間の雇用契約関係を争っている。
なお、原告の訴外会社における取締役の地位は、一九八九年六月三〇日をもって、任期満了により終了している。
四原告の賃金については、予め年間の賃金総額が定められ、これを月々に分割する方法で、毎月二五日に支払われており、解雇当時の賃金月額は、一一七万二九三九円であったが、被告は、一九八九年七月分以降の賃金の支払をしていない。
第三当事者双方の主張
一原告
1 原告は、本件雇用契約の締結に際して、被告の在日営業担当支配人から、銀行員としても十分に働ける人間であることが採用の重要な要件であり、将来は銀行業務も行って貰う旨を説明され、且つ、実際にも融資担当者として銀行業務に従事したことがある。原告は、それまでの金融実務等における多様な業務経験を生かしつつ、被告の定年年齢である六二歳まで安心して働き続けることができるとの考えのもとに、本件雇用契約を締結したのである。本件雇用契約の締結について、当面はリース部門の責任者としての業務を行わせることに被告の目的があったことは事実であるが、原告の担当業務をリース部門のみに限定する旨の職種限定の合意は成立していない。原告と被告との間で作成された「雇用契約書」(<書証番号略>)、原告作成の「職務記述書」(<書証番号略>)及び「入行志願票」(<書証番号略>)などによっても、職種限定の合意を基礎づけるには足りないし、そもそも、銀行が銀行員を採用する場合、当初の動機が新たにリース事業を展開することにあったとしても、応募者が全般的に銀行業務を行うのに足りる能力、経験を有していると見られる場合には、一つの業務のみに限定して雇い入れるなどということは、銀行の場合には一般に考えられないところである。
事実、原告は、本件雇用契約の締結後に、銀行業務全般に対応するのに必要な研修等(その一は、被告銀行全体の様々な業務の流れや特有なルール及び銀行の各部署についてのオリエンテーションであり、その二は、ニューヨークのトレーニング・センターで行われた与信審査等に関する管理職向けの研修である。)を受け、一九八八年一月下旬ないし二月上旬から同年一一月下旬ないし一二月初めまで、被告の東京支店「営業部」(カスタマー・グループ)のバイス・プレジデントとして、融資担当者として対外的に用いるための名刺を付与され、被告の融資先である在日外資系企業一一社を担当し、リース事業とは別の業務として、各企業への訪問及び融資に関する交渉、各企業についての信用調査及びこれらの業務に関する銀行内の稟議・決裁用の書類作成、上司への報告等の業務に従事した。
したがって、原告は、訴外会社のリース事業からの撤退の有無に拘らず、被告の従業員としての地位を有しているのであるから、右リース事業からの撤退のみを理由とする解雇は、合理的な理由がなく、解雇権の濫用であって、無効である。
2 訴外会社は、一九八六年一〇月からリース事業を開始したが、原告の努力により着実にリース契約を増やし、一九八八年(昭和六三年)の第四・四半期には、収支が均衡して予算を上回る成績を挙げ、若干の黒字も見込める状況となって、それ以後は毎年利益を計上していくことが見込まれ、まさに、これから儲かるという時期を迎えていた。原告は、被告のリース関係の責任者から、開業して二年、三年で間接費(被告がチェースに関連する会社に対して人事、経理等のいわゆる一般管理部門に関わる役務を提供したことによる費用を役務提供の割合に応じて各部門に配分した金額をいう。)配賦前の状態で黒字に転換すればよいとの見通しを示されていた。一九八九年から一九九三年までの五年間にわたる業績の予測においても、一九八八年の第四・四半期の成約高と同一の水準を五年間維持するという極めて堅実で控え目な前提に立ち、且つ、再リースやリース物件の処分による利益を含まない前提のもとでも、一九八九年に七〇〇〇ドル、一九九三年に三三万九〇〇〇ドルの黒字を計上することが見込まれていた。この時点で訴外会社を閉鎖しなければならない経営上の理由は全くなかったのである。現に、一九八八年度末すなわち平成元年三月三一日の決算では、年度途中で被告による閉鎖決定がされて新規のリース契約を中止したにも拘らず、営業利益を出して納税をするまでに至っている。リース契約は、短いもので三年、長いものは一〇数年に及ぶため、事業として成功したかどうかを判断するには、最低、四、五年の期間が必要である。再リースやリース物件の処分による利益すなわちリースの「うまみ」は、リース契約の平均的な期間が経過した後に初めて実現するのである。
したがって、被告がリース事業の開始後僅か二年足らずでこれから撤退して訴外会社を閉鎖したことは、それ自体が著しく不合理であり、根拠のないものであって、これを理由とする本件解雇は、無効である。
3 仮に、リース事業を継続するよりも廃止した方が被告の経営政策にとって合理的であったとしても、その内容は、新規契約を打ち切って既存のリース契約の管理を継続するというもので、リース料の請求、回収、固定資産税の納付等の残務処理は引き続いて行われているのであるから、リース事業の責任者としての原告が行うべき業務は未だに存続している。原告を解雇する理由はない。更に、本件解雇は、訴外会社の実際の開業から僅か二年半という短期間の経営方針の転換の上に立って強行されたもので、その閉鎖の理由も、原告が予定の業績を挙げられなかったというのではなく、「もっと手っ取り早く儲かる事業をやりたい。」という独善的な理由に過ぎないから、たとえ原告の担当業務がリース事業に限定されていたとしても、これを右のように性急な経過で消滅させて解雇するのは、余りに身勝手で信義則に反する。担当業務が通常存続すると合理的に予想される期間については、特に原告に落ち度がない限り、雇用は保障されると解するのが当事者の合理的意思にかなうものというべきである。
したがって、本件解雇は、この点からも無効である。
二被告
1 原告は、チェース・グループのリース事業展開のために被告に採用されたもので、被告の関係者が原告に対して、銀行業務をも行って貰う旨を説明したことはなく、実際にもこれを担当させたことはない。原告が作成したと認められる稟議・決裁用の書類もない。もっとも、訴外会社が営業を展開する上で被告の既取引先に重点を置いたことから、与信業務が被告と一部重複するということはあったが、原告が被告の銀行業務を遂行したというものではない。
2 原告は、被告と本件雇用契約を締結して訴外会社に出向した後、その実質的な責任者として会社組織の整備、営業戦略の構築等に着手し、一九八六年六月、その代表取締役に就任し、同年一〇月からリース事業を開始したが、一九八六年は、営業収益として二万八〇〇〇ドル(約四〇〇万円)しか挙げることができず、二六万二〇〇〇ドル(約四三〇〇万円)の営業損失を生じるに至った。一九八七年は、原告の作成した予算計画に基づいて営業活動が行われたが、営業収益は三万ドル(約四〇〇万円)に過ぎず、予算上の収益額二四万一〇〇〇ドル(三四〇〇万円)を大幅に下回り、三五万三〇〇〇ドル(約五〇〇〇万円)の営業損失となった。業績不振の主たる原因は、リース契約高の未達成によるもので、一二〇〇万ドル(約一億七〇〇〇万円)の予算に対して僅かに一〇〇万ドル(約一四〇〇万円)であった。
原告が作成した一九八八年の予算計画では、その第四・四半期には収支が均衡することが見込まれていた。しかし、リース事業の責任者であった被告のデニス・カレンが、一九八八年一月から三月までの実績に基づいて訴外会社の業績と将来を展望する分析を行ったところ、一九八八年には、間接費を配賦した後の損失額は約六〇万ドル(約七五〇〇万円)と予想された。また、原告が目標とした一九八八年第四・四半期における間接費配賦前の状態での収支均衡を達成するには、新規リース契約高を第一・四半期の実績約一九一万ドルより六〇パーセント増の約二九七万ドルとする必要があるというものであった。更に、訴外会社の一九八九年から一九九三年までの五年間の収支予測においても、リース契約高は一定の率で伸張し、経費は一定額と仮定しても、間接費配賦後には黒字転換を見込めないことも分析された。このようなことから、デニス・カレンは、訴外会社の業績と将来を展望する分析を報告書にまとめ、一九八八年六月九日付けで訴外会社の閉鎖を勧告した。
3 デニス・カレンが作成した一九八八年六月九日付け報告書並びにその基礎となった原告作成の同年四月二二日付け及び同年五月一七日付け報告書をもとに、訴外会社の事業展開について検討した結果、被告としては、訴外会社を閉鎖することを決定し、被告のハッサン・アスカリ副総支配人から原告に対し、訴外会社の閉鎖の方法、手続について立案することを指示した。訴外会社の閉鎖の背景としては、金融制度の自由化に伴う世界的な銀行業界の大変革という状況のもとで、競争の激化、収益の圧迫に対応するための収益性の高い分野への重点的投資、不採算部門の閉鎖、不用資産の売却、人員の削減等の営業戦略の見直しがある。
そして、原告が立案した閉鎖の方法、手続に従い、一九八八年九月から、訴外会社の新規業務からの撤退、残余リース債権の回収業務の被告に対する委託等の閉鎖手続が開始された。その結果、訴外会社の業務は完全に停止し、一九八九年一二月末日には、原告を除く全従業員は、それぞれ、出向元に復帰し或いは退職したことによって皆無となり、その活動を停止した。
4 右のように、訴外会社が新規リース事業から撤退したことに伴い、リースの営業活動を展開する目的で採用された原告の業務がなくなることとなった。そこで、一九八八年七月、被告の在日代表であるビニーらが、原告に対し、新しい雇用先を探すことを指示したほか、同年一二月には、在日人事部長ベンボーが、再就職活動を行うように指示し、一九八九年一月にも同様の指示をした。しかし、原告は、被告の事務所内で漫然としているだけであったことから、一九八九年三月二九日付け文書をもって、再就職活動をすることと、九〇日後の一九八九年六月三〇日をもって本件雇用契約を終了させる旨の解雇を通告した。この通告は、被告の就業規則二三条一項にいう「自己の判定によって行員を解雇することができる。」との定めに基づいて行われたものである。
第四当裁判所の判断
一訴外会社の概要及び被告との関係
<書証番号略>並びに原告本人尋問の結果によれば、訴外会社は、被告と親会社を同じくするチェース・コマーシャル・コーポレーションの全額出資により設立された株式会社であって、設立当初は営業活動をしない休眠会社であったが、コンピューターその他の事務用機器の需要が急増したことから、そのリース事業に参入することになったもので、本件雇用契約の締結は右事業参入のためにされたものであること、訴外会社は、被告との間に直接的な資本或いは上下の関係がなく、業務上の指揮命令系統は香港のアジア・太平洋地域リーシング・マネージャーに属していたが、地理的な関係から、被告の在日営業支配人に対する報告義務を課せられその監督を受けるものとされていたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
二本件雇用契約の内容及びその目的
1 <書証番号略>によれば、本件雇用契約は、原告が訴外会社に出向しそのゼネラル・マネージャー(代表取締役に相当すると解される。)に就任してリース事業の責任者となるという目的で締結されたもので、右<書証番号略>によって認められるように、被告が原告に対して年間一三五一万二五三三円という高額な給与等を支払い且つ成果によりバイス・プレジデントの資格を与えることとしたのも、このような雇用契約の目的に対応したものであって、訴外会社における地位及びその事業との関係なしに、原告が被告の銀行業務に従事する目的で締結されたものではないことが認められる。すなわち、本件雇用契約の締結自体が訴外会社への出向とそのゼネラル・マネージャーへの就任という目的を持つもので、被告の従業員としての身分は、このような出向の前提としての意味を有するに過ぎないのである。
右のように、本件雇用契約の締結自体が訴外会社への出向とそのゼネラル・マネージャーへの就任という目的を持つもので、原告が被告の従業員の身分のままでリース業務に専従するというものではないから、被告の従業員として従事すべき職種がリース業務に限定されていたかどうかという意味での職種限定の問題は生ずる余地がないし、また、訴外会社に出向しそのゼネラル・マネージャーに就任してリース事業の責任者となることが本件雇用契約締結の目的となっているのであるから、訴外会社がリース事業を廃止した場合はもとより、たとえ訴外会社が存続してリース事業を続けていても、原告が何らかの事由で訴外会社のゼネラル・マネージャーの地位を喪失したような場合には、その結果として、前提となる本件雇用契約そのものの存続に影響を与えることがあるのは避けられないことになる。
2 この点に関し、原告は、それまでの金融実務等における多様な業務経験を生かしつつ、被告の定年年齢である六二歳まで安心して働き続けることができる考えのもとに本件雇用契約を締結したものであるとして、あくまで被告の従業員としての身分が重要であるかのような主張をする。そして、原告本人尋問の結果中には、右主張に符合し、且つ、面接に当たった被告の営業担当支配人らからは、銀行員としても十分に働けることが採用の重要な条件であるとして、将来における職種変更の可能性についても説明をされていたとか或いは被告は過去の経験から日本では従業員の解雇ができないと理解しているので心配はないといわれた旨を述べた部分があるが、前項記載の各証拠に照らして信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、本件雇用契約においては、原告が訴外会社に出向しそのゼネラル・マネージャーに就任してリース事業の責任者となると共にこれと兼務の形で被告の銀行業務にも従事すること或いはリース事業が廃止された場合には被告の従業員として銀行業務に従事することが、当初から雇用契約の内容として約定されたものということはできない。<書証番号略>に、「原告とその他のリース事業の従業員がすべての点で他の日本人従業員と同じ待遇を確保されるよう望んでいます。」と記載されているからといって、訴外会社のゼネラル・マネージャーとしての地位に関係なく、原告が被告の従業員としての身分を保障されるものと解することはできない。なお、原告本人尋問の結果中には、<書証番号略>の雇用契約書は形式的な書類と理解して署名したものであるとして、そこに記載された内容が拘束力を有しないものであるかのように述べた部分があり、また、<書証番号略>の雇用契約書及び<書証番号略>の職務記述書に記載された職名は、原告が被告に採用された当初の時点でどのような仕事に就くかを表示したものに過ぎない旨を述べた部分があるが、いずれも採用の限りでない。
3 また、原告は、本件雇用契約の締結後に、銀行業務全般に対応するのに必要な研修等(その一は、被告銀行全体の様々な業務の流れや特有なルール及び銀行の各部署についてのオリエンテーションであり、その二は、ニューヨークのトレーニング・センターで行われた与信審査等に関する管理職向けの研修である。)を受け、被告の東京支店「営業部」(カスタマー・グループ)のバイス・プレジデントとして、融資担当者として対外的に使用するための名刺を付与され、被告の融資先である在日外資系企業一一社を担当し、リース事業とは別の業務として、各企業への訪問及び融資に関する交渉、各企業の信用調査及びこれらの業務に関する銀行内の稟議・決裁用の書類作成、上司への報告等の業務に従事した旨を主張する。
そして、<書証番号略>、証人臼井和郎、同金井淳の各証言及び原告本人尋問の結果によると、原告は、被告から東京支店「営業部」(カスタマー・グループ)のバイス・プレジデントの名刺或いはその融資先である在日外資系企業一一社のリストを渡されて業務に従事し、また、「クレジット・ファシリティ・レポート」「クレジット・ファシリティ・サマリー」という与信枠の管理に関する書面の「リレーションシップ・マネージャー」欄に署名をして提出するなどしたことが認められるので、その程度、態様及び期間は別として、原告が被告の銀行業務に関与したこと自体を否定することはできないものと解される。
(一) しかしながら、被告における融資担当者の研修について見ると、証人臼井和郎の証言によれば、右研修は東京と香港で各六か月程度の期間に及ぶのが通常であることが認められるところ、原告本人尋問の結果によると、原告がニューヨークのトレーニング・センターで受けた研修は、管理職向けの短縮コースであったというもので(証人臼井和郎の証言中には、原告が受けた研修は三週間程度のものであると述べた部分がある。)、原告が融資担当者として与信審査等の業務を遂行するのに必要な研修を受けたといえるかどうかには疑問がある。のみならず、原告が実際に関与した業務の内容及び関与の程度についても、必ずしも明らかでないところがある。原告本人尋問の結果中には、原告の前記主張に符合し、得意先に対する被告の代表者・取引の総責任者として、ローン、為替、送金、与信限度額の評価或いはこれに関する資料請求などの、得意先から見た場合の窓口の責任者の仕事をしたと述べた部分があるが、証人金井淳の証言中には、これとは異なり、原告は、銀行業務の経験がないため、融資に関する審査の方法等については、実体的な部分だけでなく事務的な部分についても被告の従業員に聞かざるを得ない状況であった旨を述べた部分があるからである(なお、同証人は、被告の従業員として勤務中に訴外会社に出向し、原告のもとでリース事業に関与したが、訴外会社がリース事業から撤退した後に被告を退社し、証言時には、原告が代表者の一人である別会社の従業員として働くようになっていた。)。<書証番号略>及び原告本人尋問の結果によると、前記の「クレジット・ファシリティ・レポート」「クレジット・ファシリティ・サマリー」の書面も、被告の従業員が得意先に対する与信枠やその財務状況及び取引内容等を内部的に纏めたものを原告が閲覧して署名したに止まることが認められる(原告も「監修」に当たる旨を述べている。)。
(二) 次に、原告が被告の銀行業務に関与した期間について見ると、証人金井淳の証言中に、一九八八年一月下旬ないし二月上旬から同年一一月下旬ないし一二月初めころまでと述べた部分がある反面、原告本人尋問の結果中に、一九八七年三、四月ころから一九八八年八月から一二月の間まで継続していたと述べた部分があって、一致しない。しかし、原告本人尋問の結果中に、原告が銀行業務に関与するようになったのは、被告の担当者であった藤野と田端が優遇退職制度に基づいて退職した際にその後任者として割り当てられたことによると述べた部分があり、また、証人臼井和郎の証言中に、被告のデニス・カレンが銀行の融資に関連する業務を補助するためとリース事業のためということで担当者が退職した機会に原告に担当させた旨を述べた部分があることからすると、原告が銀行業務に関与するようになったのは、担当者の藤野らが退職した後であることに間違いがないものと認められる。もっとも、藤野らが退職した時期については、原告本人尋問の結果中に、一九八七年春であると述べた部分があるが、証人臼井和郎の証言中に、被告が希望退職を募ったのが一九八七年暮れで、担当者が退職したのは一九八八年二、三月であると述べた部分があり、また、証人金井淳の証言中に、藤野が退職したのは一九八八年二月末であると述べた部分があることからすると、藤野らが退職したのは一九八八年三月ころであって、原告が銀行業務に関与するようになったのは、右時期ころからであると認めるのが担当である。前記のとおり、訴外会社がリース事業を開始したのが一九八六年一〇月であることからすると、右原告本人尋問の結果中にあるように、それから六か月も経ない一九八七年三、四月ころから、原告がリース事業とは別の業務として銀行業務に関与していたというのは、やはり不自然である。
(三) そして、証人臼井和郎の証言及び原告本人尋問の結果によると、被告と訴外会社とは、もともと、事務所が同じビルの中にあって、訴外会社の事業のターゲットを被告の既存の得意先に絞り、しかも、被告と訴外会社とで与信枠を共通にするなど、両者の業務が密接に関連して遂行されていたことが認められるので、これらの事実に、被告のデニス・カレンが銀行の融資に関連する業務を補助するためとリース事業のためということで被告の担当者が退職した機会に原告に担当させた旨の証人臼井和郎の前記証言を併せると、訴外会社のゼネラル・マネージャーである原告が、被告の融資担当者が退職した機会に、訴外会社のリース事業に従事する一方で融資担当者の後任として被告の銀行業務に関与するというのは、必ずしもあり得ないことではなく、その上、右関与の期間が遅くとも一九八八年一二月ころには終了したことは原告も認めるところであるから、これらの事情を総合すれば、原告は、訴外会社のリース事業とは別の業務として被告の銀行業務に従事したというよりも、訴外会社のリース事業と関連のあるものとして、臨時的或いは付随的に、被告の銀行業務に関与したに止まると解するのが相当である。
そうすると、原告が被告の銀行業務に関与したことがあるのは事実としても、上述したような関与の程度、態様及び期間を勘案すると、訴外会社に出向しそのゼネラル・マネージャーに就任してリース事業の責任者となるという本件雇用契約の当初の目的が事後的に変更されて、訴外会社のゼネラル・マネージャーと兼務の形で被告の銀行業務に従事すること或いは訴外会社のゼネラル・マネージャーを解かれた場合には被告の銀行業務に従事することが新たに約定されたものと解することはできない。もとより、原告が銀行業務に関与するのに合せて、被告が原告に対して訴外会社への出向を解くとか或いは被告の銀行員に兼ねて任ずる旨の辞令を発したことを認めるべき証拠もない。
(四) したがって、本件雇用契約は、原告が訴外会社に出向しそのゼネラル・マネージャーに就任してリース事業の責任者となることの前提となるのみであって、このことを離れて被告の従業員としての身分が問題となるものではなく、その意味では、被告の従業員としてその銀行業務に従事することを目的として締結される通常の雇用契約とは著しく異なるものがあり、両者を同列に論ずるのは適当でないことになる。
4 そして、訴外会社がリース事業からの撤退を決定した結果、本件雇用契約締結の目的ひいては原告の訴外会社におけるゼネラル・マネージャーとしての地位存続の意味がなくなったもので、しかも、リース事業からの撤退の判断に格別の不合理が認められないことは、後述するとおりであるから、原告の訴外会社における取締役の任期満了による退任の時期に合せて、被告が原告に対して解雇の意思表示したことは相当であり、解雇権の濫用ということはできない。
三訴外会社のリース事業廃止の当否
1 事業経営の態様
証人臼井和郎の証言及び原告本人尋問の結果によると、訴外会社の事業経営の態様として、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
原告は、本件雇用契約を締結すると同時に訴外会社に出向し、一九八六年六月二八日にその代表取締役に就任して開業の準備を行い、同年一〇月から本格的にリース事業を開始した。リース事業に関与した従業員は、全部で四名で、いずれも、被告の従業員として勤務していたか又は新たに被告に採用されてそこから出向した者であった。訴外会社における事業の遂行は、被告の経営方針に従い、且つ、予め一年ごとに予算を立て、これを目標として行うというもので、与信枠等についても、被告の決定したところに従うことになっていた。また、訴外会社の従業員の人事・給与等の事務は、被告において処理し、その費用を訴外会社が負担することになっていた。訴外会社のリース事業からの撤退に当たっては、原告を除くその余の従業員は、一名を除いてすべて被告に戻っている。
2 収支の状況
<書証番号略>、証人臼井和郎の証言及び<書証番号略>を総合すると、訴外会社の収支の状況として、次の事実が認められる。
(一) 訴外会社がリース事業を開始した一九八六年は、正味受取利息(リース料収入からリース物件を購入するのに要した借入金の支払利息等を控除したもの)がマイナス二万八〇〇〇ドル、営業費用が二三万五〇〇〇ドルで、税金・本店配賦経費(ここに「本店配賦経費」というのは、当事者が「間接費」として主張しているものに当たるが、その中には「本店配賦経費」と「支店配賦経費」との二種類のあることが認められるので、以下では両者を区別して用いることとする。)控除前の利益がマイナス二六万三〇〇〇ドルの赤字となった。なお、被告において黒字というのは、税金・本店配賦経費を控除した後の利益がプラスとなることであり、その上で更に、資本金の四、五パーセントの利益を確保することを事業経営の一つの基準としていた。
原告は、一九八七年八月三一日付けで、同年八月二二日時点における開業二年目の予測と開業三年目に当たる一九八八年の業務計画を作成した。そのうち開業二年目の予測について見ると、正味受取利息は、予算の二四万一〇〇〇ドルに対して予測が四万八〇〇〇ドルと約二〇パーセント程度の達成に止まる反面、営業費用は、予算の五一万ドルに対して予測が三七万四〇〇〇ドルと約七〇パーセントの消化率となって、税金・本店配賦経費控除前の利益は、予算のマイナス二六万九〇〇〇ドルに対して予測がマイナス三二万六〇〇〇ドルで、予算上の赤字よりも更に大きな赤字の出ることが予測された。
(二) また、開業三年目に当たる一九八八年の業務計画について見ると、原告は、その中で、「人員と支出を増やす事なく、第四・四半期には収支均衡になるように業務実績を築き上げる」ことを主たる目標として掲げたが、年間の予算は、正味受取利息が三一万五〇〇〇ドル、営業費用が四五万四〇〇〇ドル、税金・本店配賦経費控除前の利益がマイナス一三万九〇〇〇ドルで、三年連続してマイナスとなるものであった。右予算は、「新業務高一四〇〇万ドル、平均目標マージン二パーセント、平均リース期間五年、総人員四を維持し現在の営業人員1.5人を2.5人に増やす、海外出張なしで経費を縮小する。」ことを前提として立てられたものであるが、一九八七年八月二二日時点における開業二年目の予測と対比すると、開業三年目には、営業費用を約1.2倍とするのみで正味受取利息を約6.5倍に増やすというもので、かなり楽観的と見られるものであった。原告本人尋問の結果中にも、第四・四半期には収支均衡になるように業務成績を築き上げるという右目標について、「非常に条件の多いプランで、まあなんとかギリギリ達成できるかできないかという、非常に緊張を要する難しい課題でした。」として、その実現が容易でないことを認めた部分があるほか、予算の前提の一つである平均目標マージン二パーセントについて、当時の業界平均からすると約二倍の非常に高いものであったと述べた部分がある。
(三) 原告は、一九八八年四月二二日付けで財政予測を作成しているが、これによると、一九八八年一月から四月までの正味受取利息から営業費用を差し引いた税金・本店配賦経費控除前の利益は、いずれもマイナスで推移し、その後の予測でも、同年五月から同年一〇月まではマイナスで経過し、同年一一月に一〇〇〇ドル、同年一二月に四〇〇〇ドルのプラスが生じるというもので、第四・四半期のみについて見ると、一〇〇〇ドルのプラスとなって、原告が一九八七年八月三一日付け業務計画で掲げた収支均衡との目標を若干上回っていた。しかし、右プラスの発生は、新規成約高が同年一一月及び一二月のいずれも一〇四万四〇〇〇ドルとなることを前提としたもので、同年一月から三月までの実績が五一万九〇〇〇ドルから六九万七〇〇〇ドルの範囲(同年四月の最良概算は八〇万三〇〇〇ドル)であることと対比すると、約五〇パーセント(同年四月の最良概算との対比でも約三〇パーセント)の増加を必要とするものであった。また、右プラスの発生は、正味受取利息が同年一一月に四万一〇〇〇ドル、同年一二月に四万四〇〇〇ドルとなることを前提としたものであるが、実績である同年一月の一万ドル、同年二月の一万四〇〇〇ドル、同年三月の二万一〇〇〇ドルと対比すると、約二倍から約四倍(同年四月の最良概算でも約二倍)の増加を必要とする反面、営業費用が同年一月の四万四〇〇〇ドル、同年二、三月の各三万七〇〇〇ドルに対して、同年四月以降は各月共に四万ドルと一定していることを必要とするものであった。
すなわち、一九八八年一月から三月までの実績及び四月の最良概算との対比で見ると、同年一一月にプラスに転ずるには、営業費用を殆ど一定に押える一方で、新規成約高を約三〇パーセントから約五〇パーセント、正味受取利息を約二倍から約四倍に増加する必要があるもので、かなり楽観的な見通しというほかはなく、原告が右財政予測で述べているように、訴外会社が一九八八年の第四・四半期に収支がトントンとなり、一九八九年半ばに収益を生むという予定段階に達することは、かなり困難であって、まして、税金・本店配賦経費を控除した上で更に資本金の四、五パーセントの利益を確保するということは問題外と見られるものであった(なお、原告は、右財政予測において、訴外会社が一九八九年半ばに収益を生むようになるには、マーケティング活動の強化が鍵であると述べているが、このような活動の強化の必要と営業費用を殆ど一定に押えることとの関係は、必ずしも明らかでない。)。
(四) 被告は、一九八八年五月一七日付けで訴外会社の長期的な分析と展望を行ったが、これによれば、一九八八年四月までの実績をもとにした同年全期の予測では、正味受取利息が予算の三三万九〇〇〇ドルに対して予測は三三万ドル、営業費用が予算の五三万三〇〇〇ドルに対して予測は四七万八〇〇〇ドルで、税金・本店配賦経費控除前の利益が予算のマイナス一九万四〇〇〇ドル(<書証番号略>の別表一に「−193」とあるのは、一九八八年第三期の「−47」が「−48」であることに起因する「−194」の計算ミスと認められる。)に対して予測はマイナス一四万八〇〇〇ドルとなり、予算より四万六〇〇〇ドル減少するがなお赤字は避けられないこと、原告が一九八八年四月二二日付けでした同年の第四・四半期の予測が、その通りに達成され且つ営業費用が一定に推移するとの前提のもとで一九八八年中にサインされたリース契約からの収入を見ると、開業四年目の一九八九年に七〇〇〇ドルのプラスとなり、その後は、二〇万三〇〇〇ドルから三六万六〇〇〇ドルの範囲でプラスが生ずる計算とはなるが、前記のとおり、一九八八年の第四・四半期にプラスに転ずること自体がそれまでの実績と対比してかなり楽観的な見通しであることに加えて、営業費用が向う五年間も一定のままで推移するというのは非現実的であると解された。
(五) そこで、被告のリース事業の責任者であるデニス・カレンは、一九八八年六月九日付けで覚書(閉鎖勧告書)を作成し、その中で、同年四月末現在の最善の推定では、同年全期における税金・本店配賦経費控除前の利益がマイナス一四万八〇〇〇ドルで、予算のマイナス一九万三〇〇〇ドル(前記のとおり一九万四〇〇〇ドルの計算ミス)より金額は少ないものの、依然として赤字であり、被告の支店経費を配賦しただけでもマイナス五八万九六〇〇ドルと拡大すること、右一四万八〇〇〇ドルのマイナスは、直接の経費だけを配慮したものであるが、その支出の八五パーセントは人件費関連のものであって、継続事業の上では固定的性質のものと考えなければならないこと、原告が一九八八年四月二二日現在でした月次予測では、同年一一月には収支が均衡することとされているが、これは、第四・四半期中の新規納入高が二九七万二〇〇〇ドルに成長することを前提としたもので、この成長率は、第一・四半期の新規納入高の実績一八八万二〇〇〇ドルを57.9パーセントも上回るという極めて楽観的なものであることなどを根拠として、今後五年間の収入見通しでも、売上げは妥当な伸びを示す一方で経費は膨らまないことを仮定しても、いずれの年においても、支店経費の配賦を行っただけでも、大きな利益は期待できないとの判断に達し、その上で、被告グループで引き続き経験している売上高の伸び悩みの問題をも考慮して、訴外会社の閉鎖を勧告した(なお、<書証番号略>一枚目のC項には、第一・四半期の新規納入の実績を一八八万二〇〇〇ドルとした上で、第四・四半期の新規納入の予測二九七万二〇〇〇ドルはこれより57.9パーセント上回るとの指摘がある。しかし、この指摘は、C項で引用している別表二ではなく、別表一に記載された第一・四半期の新規納入の実績を前提としたものであって、C項で引用している別表二に記載された第一・四半期の実績によると、その合計は一九一万三〇〇〇ドルとなることが明らかであるから、これとの比較では、第四・四半期の新規納入の予測二九七万二〇〇〇ドルは五五パーセント上回るのみとなるが、大きな利益は期待できないとの前記判断自体を左右するものではないと解される。)。
3 事業廃止の決定
<書証番号略>、証人臼井和郎の証言及び<書証番号略>によれば、訴外会社のリース事業の廃止の経緯として、次の事実が認められる。
被告のデニス・カレンは、前記のような経過のもとで、原告に対してリース事業廃止の方法、手続等について立案することを指示し、これを受けた原告が一九八八年八月二九日付けで「ベンダー・シーリング終了のための解決案」を作成して提出した。そして、これに基づいて、被告は、現在継続しているリース契約はそのまま満期まで保持するが新規契約は行わないという方針を決定し、ここに一九八八年九月限りで、訴外会社のリース事業からの撤退が確定した。
なお、満期まで保持するリース契約については、被告が必要な事務を処理することになったが、一九八八年の全期の実績では、正味受取利息が予算の三三万九七〇〇ドルに対して二三万六七〇〇ドル、営業費用が予算の五三万八五〇〇ドルに対して四五万四五〇〇ドルで、税金・本店配賦経費控除前の利益は予算のマイナス一九万八八〇〇ドルに対してマイナス二一万七六〇〇ドルであった(一九八八年の予算における正味受取利息及び営業費用が前記2(二)の予算のそれと異なるのは、為替レートの変動を加味して修正したためである。)。
4(一) 以上の点について、原告は、訴外会社は原告の努力により着実にリース契約を増やし、一九八八年の第四・四半期には、収支が均衡して予算を上回る成績を挙げ、若干の黒字も見込める状況となって、それ以後は毎年利益を計上することが見込まれ、まさに、これから儲かるという時期を迎えていた旨を主張し、原告本人尋問の結果中には、右主張に基本的に符合し、更に、次のように述べた部分がある。
①リース契約は、平均のリース期間が五年前後であって、期間途中のグレード・アップや満了後の物件処分、再リース等によるプラス・アルファの利益もあるから、業績については、リース期間よりも長い期間、少なくとも四、五年をかけて見なければ正当な評価はできない。②被告香港支店のリース関係の責任者からは、開業して二年から三年で本店配賦経費控除前の状態で黒字に転換すればよいといわれていた。③訴外会社の閉鎖を勧告したデニス・カレンは、原告が提出した成約高や利益の伸びの予想を楽観的だと批判するが、むしろ、控え目な数字であり、向う五年間の予測も非常に慎重なものであって、右のような批判は、支離滅裂であって、まるで当たらない。④本店配賦経費については、その存在自体は聞かされていたが、具体的な金額や配賦の基準について説明されたことはない。⑤被告のグループ全体で引き続き経験している売上げの伸び悩みなどという訴外会社とは関係のないことを理由とすることは許されない。⑥新規に事業を始めるということで人を雇用し、色んな取引先と契約を締結して長期的な関係を作りながら、気まぐれに事業を中止することは理解し難い。
(二) しかし、右供述は、以下のとおり、いずれも、理由がないか又は本件の結論に影響を与えるものではないと解される(○内の数字が原告本人の右供述と対応)。
①リース契約に基づく収支の内容を確定的な金額として明らかにするのであれば、リース期間の経過を待つ必要があることは、いうまでもない。しかし、リース契約においては、中途解約などの特別の事情が発生しない限り、リース物件の購入価額、購入に要した借入金の利息、各期のリース料、リース期間の定めなどから、契約を締結した当初の段階で、リース契約から発生する収入の概略を予測することが不可能ではないと解される。したがって、リース期間よりも長い期間をかけて見なければリース契約に基づく業績を判断することができないことにはならない。もっとも、中途解約が発生したりリース期間満了後の再リースやリース物件の処分等が行われる場合には、その収入を前もって予測することは困難であるが、これらの収入が基本たるリース料収入の大枠を左右するものとは考えられない。原告自身も、これら収入をリース契約に付随する「うまみ」として位置づけているに止まる。
②証人臼井和郎の証言によると、被告においては、税金・本店配賦経費を控除した後の利益がプラスとなることをもって黒字としていることが認められるので、原告が被告のリース関係の責任者から「開業して二年から三年で本店配賦経費控除前の状態で黒字に転換すればよい」といわれたというのは、それ自体が疑問であることになる。のみならず、この点はさておき、訴外会社が開業して二年から三年における税金・本店配賦経費控除前の利益について見ても、やはり、黒字転換は困難であったものと解される。訴外会社の収支の状況については、開業時である一九八六年一〇月から満二年が経過する一九八八年(開業時の属する一九八六年を一年目とすると三年目に当たる。)一一月に初めて収支がプラスに転ずることが同年四月の時点で予測されていたというだけで、一九八六年、一九八七年と二年連続してマイナスで経過し、一九八八年も一〇月まではマイナスで経過することが予測されていたこと、収支がプラスに転ずるとの予測も、同年一一月及び一二月の二か月分のみに限られたもので、一九八八年の通年では三年続けてマイナスであったこと、しかも、一九八八年四月の時点における同年一一月の収支プラスの予測も、かなり楽観的なもので、実現の困難なものであったことは、いずれも前記のとおりであるから、仮に黒字転換の意味が原告本人尋問の結果中にあるようなものであるとしても、訴外会社の収支が被告の責任者の期待に応え得るものであったと解することはできない。
③原告本人尋問の結果中には、訴外会社の責任ある立場にある原告自身の判断として、一九八八年四月の時点における同年一一月の収支プラスの予測は控え目で確実な数値に基づく慎重なものであった旨を述べた部分がある。しかし、<書証番号略>によると、原告が一九八八年の予算で立てた「人員と支出を増やす事なく、第四・四半期には収支均衡になるように業務実績を築き上げる事」との目標は、新業務高を一四〇〇万ドル、平均目標マージンを二パーセントとする等の前提に立ったものであるが、前にも見たとおり、原告本人尋問の結果中には、平均目標マージンの二パーセントという利回りについて、当時の業界平均が一パーセントであることと比較して非常に高いものであったと述べた部分があるほか、これらを前提とした第四・四半期に収支均衡するという目標についても、「非常に条件の多いプランで、まあなんとかギリギリ達成できるかできないかという、非常に緊張を要する難しい課題でした。」として、自らその実現が容易でないことを認めた部分がある。また、新規成約高も、一九八八年一月の五一万九〇〇〇ドル、二月及び三月の各六九万七〇〇〇ドル、四月の最良概算八〇万三〇〇〇ドルの実績に対して、一一月及び一二月はいずれも一〇四万四〇〇〇ドルと約三〇パーセントから約五〇パーセントのアップを必要とする一方で、そのための営業経費は、四月以降すべて四万ドルに固定して一切増やさないという厳しいものである。したがって、これらの事情を勘案すれば、原告がした前記予測は、控え目で確実な数値に基づく慎重なものというより、むしろ、かなり楽観的なもので、実現の困難なものであったといわれても致し方がないと解される。
なお、<書証番号略>によると、訴外会社の貸借対照表、損益計算書、損失金処理案上では、昭和六一年(一九八六年)四月一日から昭和六二年(一九八七年)三月三一日までは三二八四万一六一〇円、昭和六二年四月一日から昭和六三年(一九八八年)三月三一日までは一四四五万四三八五円の各当期損失金を生じたことが認められるところ、証人臼井和郎の証言によると、これらの数値は日本の会計原則に基づくものであって、右会計原則では開業当初に利益が出やすい傾向があるとのことであるが、それでも二年連続して当期損失金を出していることは、やはり訴外会社の経営が順調でなかったことを示したものと解することができる。これに対して、<書証番号略>によると、昭和六三年四月一日から平成元年(一九八九年)三月三一日までの貸借対照表、損益計算書、利益処分案上では、五四〇八万六八八〇円の当期利益が生じて、前期繰越損失金を補填しても一四七万九〇八四円の繰越利益が生じたことが認められる。しかも、リース料収入は前年度の約3.2倍の伸びを示し事業規模が拡大したことが明らかであるが、当該年度については、その半ばである昭和六三年九月以降、既存のリース契約に基づくリース料の徴収が業務の中心となって、新たなリース契約の締結を中止したことにより、そのための借入金の利息や人件費等の経費の支出を必要としない状態になっていたのであるから(前年度と比較すると、リース料収入が右のとおり約3.2倍の伸びを示しているのに対し、営業費用は約二倍の伸びに止まっている。)、本来的な事業経営の実体を示したものと見ることは適当でない。したがって、昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日までの収支結果をもとにして、訴外会社の営業そのものが黒字基調にあったものと推認することは困難である。そして、<書証番号略>によると、平成元年四月一日から平成二年(一九九〇年)三月三一日までの貸借対照表、損益計算書、損失金処理案では、リース資産売却損等があって、五三三八万九六一八円の当期損失を生じたことが認められる。
④証人臼井和郎の証言によると、本店配賦経費は、被告の本店が処理する各種事務の一般管理費を各事業部に配分したものとのことであるが、訴外会社にもその負担が及ぶことを予め聞かされていたことは、原告自身も認めるところであるし(ただし、原告本人尋問の結果中では、本店配賦経費と支店配賦経費との明確な区別はされていない。)、被告が訴外会社の収支状況を評価する上では、これを除外して、税金・本店配賦経費を控除する前の利益を基礎としていることが明らかであるから、訴外会社の事業存続の可否を決定する段階で、本店配賦経費を考慮したことがあるとしても、不当ということはできない。もっとも、<書証番号略>と証人臼井和郎の証言によると、被告のデニス・カレンが訴外会社の長期的な将来の予測をするに当たっては、本店配賦経費ではなく、被告の支店経費のみの配賦を前提としていることが認められるが、そこでは、原告が予め聞かされていた本店経費の配賦はされていないのであるから、支店経費を訴外会社に配賦することを前提としたからといって、右予測そのものの当否には影響がないと解される。
⑤被告のグループ全体で経験している売上げの伸び悩みを考慮したことについては、訴外会社が被告グループとの関係なしに事業経営を行い、その結果についても独立採算制を採用しているのであれば、原告が指摘するとおりであろうが、訴外会社は、被告と親会社を同じくするチェース・コマーシャル・コーポレーションの全額出資により設立された会社であって、しかも、被告の在日営業支配人に対する報告義務を課せられその監督を受けるものとされていたことは、前記のとおりであるから、被告がそのグループ全体の収支状況の中で訴外会社の事業存続の可否を決定したからといって、特に不当ということはできない。
⑥被告は、訴外会社のリース事業について、その収支状況が芳しくなく、将来的にも大きな利益を期待することができないとの判断をしてこれからの撤退を決定したことが、前記の認定によって明らかである。もっとも、リース事業の開始から撤退決定までの期間が約二年足らずであることを考えると、いかにも短期間であって、やや性急との印象を与えることは否定できない。しかし、もともと、ある事業を継続するか、廃止するか、廃止するとして事後処理をどのようにするかは、その事業について決定する権限のある者が専権的に決定しうるところであるから(原告の代表取締役としての地位及び待遇との対比からすると、既存のリース契約の管理に必要な業務が残っている限りは、原告にこれを担当させるべきであるともいえない。)、訴外会社のリース業からの撤退に右のような問題があり、その結果として、訴外会社或いは被告に対する取引先からの信用に影響があり得ないではないとしても、これは別論であって、訴外会社からの原告の追出しを図ったなどの著しく不当な決定であることを認めるべき事情もない以上、訴外会社における原告の地位の前提となっている本件雇用契約に基づく解雇の判断に影響を与えることはないものと解される。
四結論
以上のとおりであるから、被告が、訴外会社のリース事業からの撤退に伴い、そのゼネラル・マネージャーの前提となっている本件雇用契約を終了させるために、原告に対して解雇の意思表示をしたことは相当であって、解雇権の濫用ということはできない。したがって、右解雇の意思表示の無効を主張する原告の本訴請求は、理由がなく、棄却を免れない。
よって、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官太田豊)